序章

 壁がレンガ造りの古いジャズ喫茶。
 薄暗い店内には数名の客がいる。
 店の奥に設えられた床から、一段高いだけのステージには黒いグランドピアノ。
 ピアノを弾いているのは、黒縁眼鏡を掛けた詰め襟の学生服の少年だ。
 ジャズファンなら誰もが知っている名曲を流麗に弾き終えると、まばらな拍手に黙礼し、少年は譜面台に置いた楽譜を学生鞄に仕舞うと、ステージを降りる。
 聴き終えた客の一人が彼を追ってくる。
「いいピアノを弾くね。将来が有望なプレイヤーだよ。まだ高校生なんだよな。恐れ入った」
「有り難うございます」
 慇懃な笑顔で応える少年。しかしその笑顔は何処か作りものっぽい。
「俺は君のファンになるよ。どうだい、その記念に一杯、奢らせてもらいたいんだが」
 客は持っていたグラスを掲げてみせた。
「申し訳ないんですが、まだ未成年なものでお酒は……」
「ハハハ。未成年か——。そう、固いことは云うなよ。ジュースじゃ恰好がつかないさ」
 客が少年にそう云うと、頭と髭に白いものが目立つ、黒いセットアップの初老の男性が割って入ってきた。
「うちのルーキーに無理を云って貰っては困るよ、お客さん。こんな人気のないジャズ喫茶で弾いて貰ってはいるけどね、そのうち、日本を代表する、否、世界的なピアニストになるコだよ。
 芸術家が酒に溺れたのは一昔前のことさ。才能ある彼等の世代のプレイヤーはね、酒なんぞに頼らなくてもいい演奏が出来る。俺達の頃とは違うのさ」
「そんなもんかね?」
「ああ、そんなもんだ」
 そう云って客をあしらい、初老の男性は持っていた白い封筒を少年に渡す。
 少年はそれを受け取った。
「すみません、何時も。お客さんなんて殆ど入らないのに」
「いいんだ。君のピアノが聴きたくて、こうして毎週日曜にお願いしているのはこっちのほうなんだから。それに有り難がられる程のギャラは入ってない」
 少年は頭を下げる。
「しかし、何に使おうが私の知ったこっちゃないが、そのギャラもまた例のなんとかっていうアイドルに注ぎ込むんだろう? 余り感心はしないね。世の中は変わるが、変わらないこともある。アイドルなんてものに入れ込んでも見返りなんて何もない。
 それは今も昔も同じさ。まぁ、君くらいの歳でそういうものに夢中になる――これまた今も昔も同様だがね。――47(ヨンジュウナナ)っていったっけ? 君の好きなアイドルグループ」
 少年は苦笑いを浮かべる。
「悪くないですよ、47――。マスターも一度、聴いてみて下さい。CD、貸しますから」
「生憎、ジャズ一筋でね。私は歌謡曲には興味がない」
「残念です」

 少年は再度、初老の男に一礼をし、ジャズ喫茶を出た。
 書店に立ち寄る。棚に並べられた音楽誌の中から一冊の雑誌を抜き、ページを捲る。

 47――新しいアイドル伝説の始まり。小さな劇場から全国区への道のり――

 記事の内容を確かめると、その雑誌を大事そうに抱え、少年はレジへと向かった。
 ポケットから財布を出し支払おうとするが、生憎足りないことに気付き、貰ったばかりの白い封筒の中から千円札を抜くと、レジを済ませる。
 雑誌の入った紙袋を学生鞄の中に仕舞い込み、書店を出ると、少年はその並びにあるファーストフード店に入り、オレンジジュースだけを注文し、席に座った。
 鞄の中からボールペンとレポート用紙を出し、少年はゆっくりとそこに手紙を書き始めた。

 砂吏(さり)、とても久々ですが、こうして手紙を書きます。
 君が47のメンバーとして活躍していることを知ったのは高校生になったばかりの頃、だからまだ一年前です。
 僕は月に一度、ジャズピアノの雑誌を買いに本屋に行くんだけど、ある日、その雑誌を買おうとしたら、偶々ある雑誌が眼に留まりました。それはロックギターの専門誌だったのだけれども、表紙に君が採用されていました。
 僕はジャズのピアノを弾くので、その雑誌のことは余り知らなかったのだけれど、表紙を観た時、あれっ? と思いました。
 笑顔の君が大事そうに抱えている赤いテレキャスのギター——。
 もしかして……。もしかすると……。
 僕は雑誌を捲り、君の記事を探しました。
「今、最大級に注目のバンド系アイドルグループ47 メディアや公演に出られるメンバーが人気投票で決められる過酷な選抜制度で、デビュー当初から圧倒的人気でセンターを張り続ける砂吏は高校1年。子供の頃からギターが友達だったという砂吏に、本誌は単独インタビューを試みた!」
 この砂吏って、あの砂吏なの――?
 インタビューの内容を読んでも詳しいことはまるで解りませんでしたが、君がかつて僕と、短い間だったけれども一緒に過ごしたあの君であることを、僕は確信しました。
 云っていた通りに、君は夢を叶えたんだ。
 以来、僕は47のCDを買い、47の情報を追い掛け、君の活動を出来る限り知ろうとファンクラブにも入会しました。
 あれから僕は家族の都合で引っ越しをして、君と出逢ったあの場所よりはかなり都会、でも君が活動する場所よりはすこぶる田舎な少し遠い処で暮らしています。
 僕が知った頃には、もう47の人気はスゴく、ファンクラブに入っていても劇場公演のチケットなんてまるでとれません。握手会に行けば逢えるのだけど、なんか恥ずかしいというか、気後れしてしまう。
 もし、僕が名乗ったとしても、君が憶えていてくれなかったらどうしようと、臆病風に吹かれてしまうのです。
 でも、ようやく劇場のチケットの抽選に当たりました。今度の劇場公演に僕は行きます。
 自分の夢を現実にした砂吏は本当にスゴいと思う。
 一番最初のファンになれなかったのは少し悔しいけどね、でも、君がアイドルとして活動しているのが解ってからは応援し続けているから。
 昔、君は僕を誰でも大好きなDDだって怒ったけど、47で僕の眼に映るのは君だけだから。
 とはいえ、周りの人に47を薦める時はメンバー全員、いいですよ、と云ってしまいます。
 照れ臭いから……。
 後ね――

 ここまで書き、少年は考え込む。
 何度もすでに書いた文章を読み返し、また書き出そうとするけれども、ペンを進められない。
 やがて、少年は大きな溜息を吐く。
 そして、驚いたように顔をあげる。
 店内のスピーカーから47の新曲、『BAD SCHOOL GIRL』が流れてきたからだ。
 少年は手紙をレポート用紙から切り取るとポケットに仕舞い、ジュースのカップと鞄を持ち、席を立った。
 ダストボックスの前に行き、カップを捨て、少し躊躇ったがポケットに手を入れ、書きかけの手紙も捨てる。
 店を出て、スマートフォンをとり出す。
 日記(ダイアリー)というアイコンをタッチする。

【前曲に続き、新曲『BAD SCHOOL GIRL』がオリコン1位の知らせを受けました。皆さん、有り難うございます! いー・ある・ふぁん・くー・ラーブ!です。 砂吏】
【おめでとう。砂吏】

 タッチパネルを指で叩き、そうカキコミをしたスマートフォンを握り締め、少年は早足で駅へと歩きだした。 



 1

 ギターのストラップを肩から外し、ピックを会場に向けて何時ものように投げ、誰がそれをキャッチしたのかを確かめると、頭を下げる。歓声、それぞれの推しのメンバーの名を呼ぶ声、拍手の代わりに振られる赤や黄色のサイリウム。
 頑丈な鉄柵を隔ててすぐ、それさえなければ観ている最前列の人と手を触れられる距離にあるステージのギリギリ手前まで、私以外のメンバーも楽器を置いて出てくる。
 横一列に私達は並んで手をつなぐ。そうしてつないだ手を大きく上げると、ありったけの笑顔で、マイクを通さぬ地声を合わせて叫ぶ。
「今日は有り難うございました! せーの、ヨンジュウナナー、いー・ある・ふぁん・くー!」
「ラーブ!」
 コールして上げた手と共に頭を下げると、それに呼応し、劇場一杯に響き渡る、地鳴りのようなファンの人達のレスポンス。
 ヨンジュウナナ——というのは47——私達のグループの名前だからいいとして、その後に続く、いー・ある・ふぁん・くー——の意味が解らない。云っている私達が知らないのだからファンの人達も知る訳がない。
 ファンの間では、いーこと、あるある、私達のファンになったならば、くるよね、きてよね、また次も……を縮めたものだというのが定説になっているが、確かなことは誰も知らない。
 只、私達はこのグループに入った時、振り入れと共に公演のラストでは、必ずこう云うんだ、敢えてマイクを通さず、お客さんに親近感を持ってもらい、パフォーマンスをしているこちら側と観にきている向こう側との垣根を取り払い、一体感を得る為にと、振り付けの先生に教えられたので実践しているだけだ。
 が、意味不明であろうと確かに、マイクを通さずに客席にそう大声でコールをし、それよりも大きな声、観にきてくれているほぼ全員のレスを受けると、一つになれた、伝わったのだという気持ちになる。客席からのコールの「ラーブ!」はいわゆる、える・おー・ぶい・いー のラブで間違いはないだろう。それ以外の意味などありようがない。
 定員二百人の小さな劇場で私達が活動を開始してから、五年目。イマドキ、アイドルグループなんてデビューしても売れる訳がないでしょ——。オーディションに受かりレッスンを重ね、専用の劇場で初公演を迎えた私達に対する世間の反応は当初、厳しいものだった。グループ名の47というのは、かつてアイドルとして一世を風靡したグループの名前をもじったものらしいが、そのことで便乗と云われ、昔のアイドルファンから苦言を呈されもした。
 幸先がいいとは決して云えなかった私達の初舞台には、七人しかお客さんが来なかった。
 そのうちの四人はメンバーの親や友達だったりしたので、実質、ガチで私達、47に興味を持って観にきてくれたのはたった三人。公演を重ね、街でビラを配り自分達で宣伝をし、少しずつは動員が増えるようにはなったけれど、客席に空席が目立たなくなるまでには一年以上掛かった。
 運営からは、売れるまでにはそれなりの時間が掛かる、暫くは試練が続くと云われていたけれども、デビューした時、私を含む一期生は一人を除き皆中学に上がりたてだったし、頑張っているのに結果が出ないという状況を受け入れるには子供過ぎた。
 初めて劇場が満席になった時は、公演の後、狭い楽屋で着替えもせぬまま皆で抱き合って泣いた。どんなにキツいことがあろうと、何時もふざけたことばかりいって皆を和ませてくれていたドラム担当でリーダーのりっちゃんが一番、泣いていた。
 それが今や、私達47の公演を観ようと思っても、メールで応募して抽選で当たらなくては観られない。
 ファンクラブに入っていても確実に公演が観られる訳ではない。
 そこまで人気が上がったならば、こんな小さな劇場ではなく、もっと大きなキャパの劇場に活動場所を移すべきだという批判は多くある。でも運営はそれをしない。大きな劇場に変更することを考えなくもないが、47はこの小さな、最後列からでもステージに立つ私達、メンバーの一挙手一投足、表情、ダンスで流れる汗が確認出来る劇場で活動してこそのアイドルグループなのだと運営は説明をする。
 私達もこのままでいいと思っている。
 確かに、劇場に送られてくる手紙を読むと、全ての公演に応募してるのに一度も抽選に当たったことがないので、もっと大きな劇場にして欲しいと望むファンの人が多くいることを知らされるし、観たいのに、観れない人に対して申し訳ないと思うけれども、皆で叫ぶ「ヨンジュウナナー、いー・ある・ふぁん・くー!」が、マイクを通さなくては聴こえないような遠い場所にいるお客さんに、自分達がどれだけ百パーセントのパフォーマンスを伝えられるかと考えれば、今のままでいい、否、今のままの方がいいと結論せずにはおれない。
 もっと大勢の観客の前で歌いたい、ダンスがしたい、パフォーマンスを観せたいなら止めはしない、卒業しろと運営は私達に云う。
 実際、こんな小さな劇場で続けていけというその運営の姿勢に疑問を抱き、卒業——といえば聞こえはいいが脱退していったメンバーもいる。現在、一期生で47に残っているのはりっちゃんと、ベースのみぃ、キーボードの姫麦(ひめむぎ)だけだ。
 一緒にオーディションを受けて初期メンとしてリードギターを担当していた由比(ゆい)は、こんなことを続けていたって後何年かしたら、若いコもどんどんと入ってくるんだから自分のアイドルとしての寿命が尽きてしまうのは解り切っていると云って、辞めてしまった。47で人気があるうちに卒業して、女優として新しい夢を追いたいと云われると、りっちゃんもみぃも姫麦も私も、止める理由を持たなかった。


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